YUKIE.Y(K)の「北欧紀行」   
                                                vol.3 04.6.23 


北欧の旅

  (3)スウェーデン その2

 ホテルの受付係にタクシーを呼んでもらい、玄関前で待っていると、トヨタのワンボック

スカー(名前はわからないが数年前によく見かけたタイプのもの)が、停まりました。日本

のタクシーでワンボックスというのはあまり見ないですね。また、これは他の外国も同様で

すが自動扉ではないし、運転手は客に、後部座席より助手席に乗ってもらいたいようです。

運転手はアフリカ系と思しき人物で英語が通じず、地図に表記されているスウェーデン語も

なかなか解読できないようでしたが無事ノーベル賞ディナーを提供する、ストックホルム市

庁舎に着きました。市庁舎ガイドのおじさんにレストラン入り口はどこか聞き、教えてもら

いました。レストランは市庁舎地下にあり、予約してある旨を伝えると奥の部屋に通されま

した。すでに2
,3組の客がいましたが、どれも日本人でした(苦笑)。私たちの一つ奥の席

は商談中の日本人とスウェーデン人でしたが他は観光客と思われました。


 ウェイターがシャンペン(シャンパン)グラスにシャンペン(実際は‘ドンペリニョン’

らしいですが、‘モエ・エ・シャンドン’というまあまあのクラスのシャンペンでした。だ

いたい4,000円で売られているものです)を注ぎ、前菜が運ばれてきました。前菜は


「ヤギのチーズのタルト・赤カブのソース」と「ホタテ貝とエビのサラダ」でした。ヤギチ

ーズは食べたことがなかったのですが、意外にまったりした口当たりが気に入りました。赤

カブソースはブルーベリーやカシスを思わせる口当たりで、デザートっぽい味わいでおいし

かったです。疲労と緊張でノドが乾いておりシャンペンが進みました。前菜とともにパン、

バターも運ばれてきましたが、これは北欧に行った人がだいたい思うことらしいですけど、

「北欧のパン類に外れなし」です。バター等の乳製品も良いと思います。シャンペンがなく

なるとウェイターがすぐ来て注いでくれます。そうこうするうちに他の客が来ました。欧米

人の夫婦と、日本人団体です。団体は老人が多いようですが、まれに30代ぐらいの人が混

じっています。写真をとる姿に夫は、「あっカメラ持って来ればよかった!」と言いました

が、私は残念という気持ちはありましたが、「やたら写真を撮るのは田舎者みたいだからま

あいい」と言いました。そのため料理の写真は全くありませんが、「ノーベルディナー」で

検索するといろいろ出てきます。


 前菜の後はメインディッシュで、「仔ジカのロースト、苔桃・シナモン風味のソース、根

菜ソテー、ラッテジャガイモ添え」です。これは案外とボリュームがあり、あっさりとした

おいしさがあります。2002年12月の本番の際に「ニュースステーション」でこのメニ

ューと受賞者の田中耕一氏の感想が放送された際には「デザートがおいしかった」しか彼は

言わず、司会の久米宏が「デザート以外はおいしくなかったのですね」とコメントしていた

のですが、まったくそんなことはなかったです。鹿肉は最初「どうかな?」と心配でしたが

大変クセがなく、良かったです。メインの際には赤ワイン、ということでした。イタリア語

で書かれたワインでしたからイタリアワインでしょう。本番はどうなのかわかりません。


ェイターは親切でかなり訓練された感がありました。


 メインの後はデザートです。デザートのための甘いワイン「貴腐ワイン」と思しきものが

「それ用のグラス」に注がれました。これはシロップのようなものでなかなか一気に飲める

ような代物ではありません。デザートは「洋ナシとシャンパンのシャーベット、洋ナシをの

せたチョコレート・バニラ風味のババロア、洋ナシキャラメルソース添え」ですが、これが

甘すぎる(笑)。日本のいわゆるデパート地下で売られているケーキは欧米風のこってりし

た甘いものが最近主流ですが、これはそんなものが逃げ出すほど甘い!! 田中さんはよほ

どの甘党か、疲れていたと思われます
()。しかし、完食。席を立とうとすると、ウェイタ

ーが「コーヒーがまだある」と言います。異常に甘いデザートのあとは大変良いと思います。


そして席を立つと、記念のチョコレートとメニュー(日本語つき)に「あなたは・・・人目

のお客さんです」といったことが書かれた(これは英語)紙をもらいます。2,323人目

でした。入り口近くの部屋にはアメリカ人らしき老人団体が貸しきり状態でした。大変楽し

い夜でした。


 翌日は例によって5時に起き、5時半にはホテルの朝食をとり、7時半には散策に出ると

いうスケジュールをとりました。朝早いほうが街は空いていて(店が開いてないという欠点

はありますが)気持ちが良いです。旧市街「ガムラスタン」へ向かい、橋を渡ると門があり

王宮があります。8時の衛兵交代儀式に間に合ったようです。そのあとガムラスタンを散策

しました。このガムラスタン(=「古い街」の意)は宮崎駿監督の「魔女の宅急便」の街の

モチーフとなっているそうです。ただ私はその映画を見たことはありますが、いまいち覚え

ていないので「おうこれがあの!」というような感激はなかったですが、ガムラスタン自体は

大変キレイでよいところでした。ストックホルムは大変美しく、ストックホルムの観光局ホ

ームページに「世界一美しい街」とキャッチフレーズがありましたが、全く言いすぎではない

と思いました。水が三分の一、緑が三分の一、建物や道路が三分の一だそうですが、水と緑

が大変美しく、また建物も景観に厳しい配慮がなされているため、かなり完璧に近いです。

散歩しやすい道路事情(歩道が整備されている)でした。かなり大きい街ですが、落ち着い

た印象があるのは建物と緑が調和しているからでしょうか。

 スウェーデンの絵はがき(ストックホルム)

 本当はフェリーで「ユールゴーテン地区」へ行こうと思いましたが、思い切って歩きで行

くことにしました。水辺を歩くとやはり湿度がやや高く、疲れました。ユールゴーテンに着

くと芝生の上で休み、飲み物を買って「ヴァーサ博物館」
の開館を待ちました。ユールゴー

テンには他に「北方民族博物館」「スカンセン野外博物館」
(遊園地や「スウェーデンの昔」

テーマパークや動物園があるようです)もありますが、時間の関係でそれらへ行くのはムリ

でした。ヴァーサ博物館の開館は9時半ですが、9時を過ぎるともうかなりの数の観光客

(団体が多い。団体は中国とか香港・台湾?とフランスとか?と多彩)が集まって開くのを

待っています。だから開館とともに入り口へ行くと、やたらそこが混んでいてストレスを感

じました。しかし入ってしまうと中は広いので、快適な鑑賞が出来ました。


 このヴァーサ博物館は高校世界史にも登場するスウェーデンの大有名人「北方の獅子、グ

スタフ・アドルフ(グスタフ2世)」の軍艦ヴァーサ号を展示するところで、このヴァーサ

号は欧米ではそこそこの知名度を誇るらしく、帰国後何の気なく見ていたアメリカ資本の


「CS
・ヒストリーチャンネル」の有名な歴史的遺物をたずねる番組で紹介されていて、思わ

ず「あ、行った所だ」とうれしくなりました。このヴァーサ号は使われることなく、初出航

の際にすぐに沈んでしまったというもので、その後第2次世界大戦後に引き揚げられ、こう

やって今展示されているわけです。沈んだ理由は不明ですが、装飾が多すぎてバランスが悪

かった、というのが有力な説のようです。確かにかなりの装飾が見られ、おそらく当時はこ

ういう色だった、と鮮やかな装飾のものが横に復元されていたりします。また、当時の船内

の様子が再現されていたり、グスタフ・アドルフの人柄を伝えるコーナー(たとえば「音楽

好きだった」とか)、ヴァーサ号引き揚げのドキュメンタリーフィルムが上映されていたり、

なかなか楽しい博物館でした。説明のパネルは主にスウェーデン語・英語・ドイツ語・フィ

ンランド語ですが、一部、仏語・スペイン語・日本語があり、ごくまれに中国語・ポルトガ

ル語がありました。日本語があるものはあまり大した説明を必要としないものばかりで、ち

ゃんとした説明を読みたいなら英語のものを見るしかありません。
この博物館は受付の人の

衣装が「三銃士」の衣装(着ていたのは女性でしたが)みたいだったり、おみやげコーナー

も凝っていて楽しかったです。そこで日本語のパンフレット、グスタフ・アドルフ時代の音

楽の
CD(せっかくなので日本語説明つき)を買いました。夫は自分用にマウスパッド(古地

図柄)とお土産にヴァーサ号柄のライターを買っていました。

ヴァーサ号(正面)  

 グスタフ・アドルフは、スウェーデンでは11月のグスタフ・アドルフデー(死んだ日だ

ったかな)にグスタフ・アドルフの顔をかたどったチョコを乗せたケーキを食べたりするほ

ど人気があるようですが、スウェーデンについてのサイトを見ていたら、近年は右翼団体の

シンボルにされていたり、平和主義者が多いスウェーデンではあまりに好戦的な彼を好きで

はない人も少なからずいるが、年配者はいまだに「グスタフ・アドルフの歌」が歌えたりす

る、とか、彼に対するさまざまな見方を紹介していました。

                          ヴァーサ号(側面)

 ヴァーサ博物館を出て、ホテルに戻ることにしました。トラムやバスを使おうかとも思い

ましたが、また歩きにしました。途中でオーレンスというデパートとツーリストインフォに

寄りました。オーレンスへ行った訳は、途中のコンビニ(薬屋でもあるらしかった)で、歯

磨き粉とバスタオル(ホテルのでは分厚すぎると思い・・・)を買おうとしたら、親切な店

員の人達が「バス用品ならここよりオーレンスが安い」と教えてくれたのです。ばつが悪い

ので歯磨き粉ともう一つガムを買い、礼を言ってオーレンスへ行きました。オーレンス
は、

日本で言うとデパートというより「東急ハンズ」や「ロフト」を思わせる感じでしたが薄い、

日本にあるような身体を洗う用のタオルはなく、分厚いものでガマンすることにしました。

ツーリストインフォでは土産のテーブルクロスと絵はがきを買いました。絵はがきはストッ

クホルムの市庁舎のものを買いましたが、今思うと、話のネタになる「王室もの」も買って

おけばよかった気がします。種類としては「一家全員」「ヴィクトリア皇太子(王女の場合

も「皇太子」でいいのでしょうか? ちなみに彼女は弟がいますが、「生まれ順」で王位に

つくのが近年のヨーロッパ王室の流れで、スウェーデンも彼女が生まれた後、法を変えたそ

うです。ちなみに彼女は私と同じ年のようです)」「ヴィクトリアと妹(夫は「妹のほうが

かわいいと言っていた)」「王と王妃」がありました。ヴィクトリアさんの弟は一家の集合

写真のしかなく、顔を思い出せません。ヴィクトリアさんについては顔を覚えました(街頭

に売られている「タブロイド紙」の表紙でもよく見ました)。

スウェーデンのコイン(国王の顔や国か王室の紋章が彫られている)

 目抜き通りのドロットニング通りでは、あちこちでローリングストーンズのポスターを見

かけました。コンサートがあるようです。最近、デヴィッド・ボウイのコンサートのために

北欧へ行った(別に北欧まで行かなくとも日本にも彼は来たのですが)人に会ったのですけ

ど、ボウイのときもそんな感じだったそうです。有名スターのコンサートをお祭り感覚で楽

しむ感覚があるのでしょう。また入った店で、「スウェーデンといえば」の感があるアバの

曲がかかっていて「あ、アバだ」と思いました。他の有名スウェーデン人といえばテニスの

ボルグやエドベリ、女優のグレタ・ガルボ、イングリット・バーグマン、あと歴史ではマリ

・アントワネットの愛人「フェルゼン」は日本で結構有名かもしれません。

スウェーデンの紙幣(肖像画は、「イェニィ・リンド」という歌手でアンデルセンが猛烈な片思いをした女性)

スウェーデンの紙幣(クローナ krona )

 ホテルに戻った後、荷造りをしてストックホルム・アーランダ空港へ向かうべく、タクシ

ーを呼びました。タクシーはボルボのワゴン型のもので、運転手はインドとかその辺の人の

ようでした。なぜかガラスに亀裂が入っているので、夫が運転手に聞くと「去年の冬があま

りに寒すぎてガラスにヒビが入った」とのこと。ちなみに、北欧の気候は北海道ぐらいのも

のだそうです。すると運転手が「ところであなたたちは日本人のようだけど、英語が話せる

のだね。普通あまり日本人は英語が話せないと思うけど、特別に学校で学んだのか?」と言

いました。「日本人=英語オンチ」イメージがあるようでした(苦笑)。ストックホルムの

郊外は団地群があったと思うと工業団地となり、あまり日本と変わらない印象です。日本と

の違いは「やたら店があったりしない」ことぐらいでしょうか。工業団地には日本企業の工

場もたくさんありました。そのあとはゴルフ場が多い地帯を抜け、空港が見えてきました。


 空港はコペンハーゲンとは違い、ちょっと古い感じで、デザインが美しいわけでもなく、

日本の空港と似た印象でした。免税店も、あまりおもしろみはなかったです。昼食を空港で

とることにしました。いろいろあったのですが、「エスニック料理」にしました。日本料理

?もありましたが、「テリヤキ丼」とか「ヤキトリ丼」とか、寿司もいささか怪しげでした

ので私は「テックス・メックス(「テキサス・メキシコ」のこと)ライス」、夫はチャーハ

ンにしました。夫のチャーハンは最悪の味だったようです。「テックス・メックス」は、店

員が南米系風でしたので、まずくなかったです。そしてオスロ行きの飛行機(またスカンジ

ナヴィア機)に乗ったのですが、客でアジア系は私たち二人でした。そして機内食も出まし

た。なんか食べ過ぎてる気がしてきました。